『アイドルマスター ミリオンライブ!』のオタクの遺書

 

始めに断っておくが、別に自分は死ぬわけではない。明日からものうのうと生きるだろう。
ただ、『アイドルマスター ミリオンライブ!』のオタクとしての自分は死ぬ。今日死ぬ。
これはその死を少しでも前向きに処理するための、無駄に長ったらしい言い訳である。

あるいは、何だってできるはずの輝かしく貴重な10代の、その半分以上を1つのろくでもないコンテンツに費やした哀れなクソガキの慟哭。


アイドルマスター ミリオンライブ!』とは

アイドルマスター』といえば押しも押されもせぬ大人気シリーズだ。これは体感だがTwitterのトレンドには毎日のようにアイドルマスター関連のワードが並んでいる。嘘か真か知らないが、支出喚起力なる指標が嵐に次ぐとも言われている。そんな大人気シリーズの1つが『アイドルマスター ミリオンライブ!』である。

では『アイドルマスター ミリオンライブ!』(ミリオン)について、皆さんはどのような認識、あるいは印象を持っているだろうか。
おそらくほとんどの人が「知らない」「興味がない」と答えるだろう。それはきっと正しい反応だ。

大人気シリーズの中にありながら、"シリーズの『看板』と『ブランド力』ありきで、単体ではおそらく評価も人気も得られない"と思うタイトルが誰でも1つは思い浮かぶだろう。
アイマスにとっての"それ"がミリオンである。
簡単に言ってしまえば育成失敗だ。

しかしそんなことは始まって数年でみんな分かっていた。自分だって分かっていた。分かったうえで、愛していた。
そんな変人が今更やめるに至るまでの話。


1. 出会い


ミリオンに出会ったのは確か14の頃。何も知らないワナビーだった俺は『涼宮ハルヒ』という00年生まれのミレニアムオタクとしてはちょっと古めの教科書でオタク文化を学んでいた。ゲームはシュタゲではなくカオスヘッドにハマっていた。
既にラブライブとかが流行っていたし、多分周りのオタクはみんな見ていたと思うが、自分は「流行り物に飛びつくなんてダサい」と興味を示さなかった。イキっていた。多分今もイキっている。
そんなときに、ふとしたきっかけで一枚のCDを借りた。『THE IDOLM@STER LIVE THE@TER PERFORMANCE 03』。楽曲パートとドラマパートから成り複数人のキャラクターが出演する、二次元アイドル物のCDとしてはスタンダードなものだった。

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その中の一人のアイドルの声に、歌に、これまでの人生で経験がないほど惹きつけられた。
自分には歌や演技の良し悪しはわからないが、そのアイドルの歌は特別上手くもなかっただろうし、そのアイドルの演技も良いと言えるものではなかったと思う。
ただ理由はわからないが、とてつもなく惹かれた。

そこから数日の内に俺はミリオンを始めた。GREE版ミリオンライブ、グリマスと呼ばれたものだ。
自分にとってソーシャルゲームはほとんど初めてだったし、既にパズドラのようなスマホアプリゲームが一般的になっていた時代に古いフォーマットのブラウザゲームは、はっきり言って面白いものではなかった。
でもその時の自分は彼女が、そして彼女のいる世界が知りたくて堪らなかった。

ゲームに夢中になれないのならと、既に放映が終了していた彼女も出ていた映画版アイドルマスターのBDを買った。劇場で見てもいないのに。
アイマスの肝である声優ライブには中々手が伸びなかったが、しばらく後に結局BDを買った。
バイトもできない中学生にとって決して安い買い物ではなかったが、熱に浮かされいてそんなことは気にも留めなかった。
恋が盲目だと言うのなら、きっとあれは彼女に対する恋だったのだ。

余談だが、今大ヒット中の『鬼滅の刃』はこれまで特定のコンテンツに入れ込んだ経験のない人が多くハマっていて、そういった人達は際限を知らずに関連商品を買い求めてしまい困窮している、という噂がまことしやかに流されている。あの時の自分もきっと同じ状態だったのだろう。

しかし、それだけの急加熱を起こしたら、その分急速に冷めるのが世の常。

自分は何か物事を始めたり好きになっても『3』の付く周期で飽きる。3時間、3日、3ヶ月....世界のナベアツ、いや桂三度状態である。
前述のハルヒも、小学生の頃にハマり3年後の14歳で飽きたし、カオスヘッドへの熱量もピークはやはり3ヶ月だった。

そんな自分を自覚し「ミリマスもきっと飽きるだろう」と心のどこかで思いながら日々を過ごした。
しかし、そのまま3日が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、気がつけば3年まで過ぎてしまっていた。

2. 終わりの予兆


3年が過ぎ、時は2017年。自分のミリマスに対する熱量には何の変化もなかったが、ミリオン自体は相当な窮地に陥っていた。
この3年の間にミリオンライブ関連の展開で最も評価を受けていたコミカライズが終わった。コミカライズはアニメ化をしなかったミリオンにとって唯一と言っていいメディアミックス展開であり、ミリオンのオタクにとってある意味での心の拠り所だった。
また、コンテンツの実質的な本体であるグリマスだが、自分の抱いた「面白くない」という第一印象は多くの人にとっても同じだったようで、あの時から特別ユーザーが増えるでもなく減り続け、はっきり言って一般的なサービス終了のラインは越えていた。好きな物を数字で評価するのは好まないので具体的なユーザー数は述べないが、調べたら結構驚くような数字が出てくるだろう。

そしてこれは本来ならば喜ばしいことなのだが、2017年3月に日本武道館でのライブが決まった。

武道館。バンドの聖地。あの大きなタマネギ。おそらく全てのアーティストが一度は憧れる場所である。
ミリオンにとっても武道館は特別な意味を持った場所だった。

ミリオンの一曲目の楽曲『Thank You!』には「てづくりのぶどーかん」という歌詞が入っていたし、コミカライズではあるキャラクターの目指す場所として名前が挙げられていた。その他にも武道館を目指すという意志を各所で示したり示さなかったりし、気がついた頃には「ミリマスの目標の地は武道館である」という共通認識が生まれていた。

その武道館に行けるのだ。それなのに我々は、いや少なくとも自分は喜び切れなかった。それは何故か。

そもそも、武道館という場所はアーティストが目指す場所である。小さなライブハウスから始まったバンドが武道館に辿り着こうものならそれは快挙であり、1つのゴールテープを切ったと言えよう。
しかし、ミリオンはアーティストではない。日本のゲーム業界では最大手の1つであるバンダイナムコが運営するゲーム主体のコンテンツである。
小さなライブハウスから始まったわけでもなければ、長い下積みを経たわけでもない。最初から潤沢な資金と強力なバックアップを持って生まれてきた。

そんなコンテンツが武道館に辿り着くとはどのような意味を持つのか。
はっきり言って、何の意味も持たない。気持ちの問題である。

収容人数約1万5千人と、ライブ会場としての武道館はアイドルマスターにとって特別大きな舞台ではない。
もっと極論を言えば、新しく興したコンテンツの1stライブを武道館で行うことだってバンダイナムコには可能である。客が入るかは別として。

そして一番重要だったのは、その頃のミリオンが別に盛り上がっていたわけではないということだ。
盛り上がっていない。言い換えれば客が増えていないし儲かってもいない。コミカライズも終わりメディアミックス展開もない。
そんな中で、唐突に決まった目標の場所でのライブ。その意味。

「ミリオンライブは終わるんだ」と自分は思った。あそこがミリマスの墓なのだと。

不思議と悲しい気持ちはなかった。自分は楽しかったが、コンテンツとして盛り上がりに欠けているのも肌で感じていた。だから当然だと思った。
そして、「どうせ終わるなら」と思った。

「どうせ終わるなら、死に際まで見届けてやろう」と。
この言葉が、その後4年近く自分を苦しめ続ける呪いになるとも知らずに。

3. ミリシタという地獄の始まり


結論から言うと、ミリオンは終わらなかった。
武道館のライブでは新しいゲームアイドルマスター ミリオンライブ!シアターデイズ』、俗にミリシタと呼ばれるものが発表された。

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ミリシタは化石ソーシャルゲームであったグリマスとは比べ物にならないほど最新のアプリゲームで、とてつもなく輝いて見えた。
そして自分は思った。思ってしまった。
「ミリシタなら、他のコンテンツとも台頭に渡り合えるのではないか」
これが自分にとっての地獄の始まりだった。

グリマスの頃、自分はミリオンと他のコンテンツの優劣などどうでもいいと思っていた。自分が好きならばそれでいいと。
そんな自分の信条すら揺らがせるほど、ミリシタのポテンシャルは凄まじかった。


3Dでキャラクターが踊るスマホアプリゲームは今でこそ一般的だが、2017年時点では『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』(デレステ)の独壇場と言ってもよかった。しかしミリシタは、後発の強みを活かし3Dモデルを用いたゲームMVのクオリティはデレステに勝るとも劣らないものを可能にしていた。
これまでグリマスという竹刀でチャンバラごっこのような戦いをしていたミリオンが、突然ミリシタという機関銃を手に入れ、どんな戦場でも戦えるようになったのだと思った。

これは後から気づいたことだが、グリマスからミリシタへの転換は1つ大きな代償を払っていたのだ。
それはもう二度と、「チャンバラごっこ」には戻れないということ。

ミリシタのサービス開始日はこれまでにない盛り上がりを見せていた。今までミリオンを話をしていたのを見たことないようなTwitterのオタクアカウント達までもが口を揃えてミリシタの話題をしている。
この盛り上がりは前述のようにデレステの独壇場となっている3Dモデルの音ゲーアプリ界隈に、ついに『デレステライク』の対抗馬が現れたという盛り上がりでもあったのだろう。
それでも自分は、多くの人がミリオンの話をしているのがとても嬉しかった。これからはこの人達もミリオンを好きになってくれるのだと、純粋に思った。

出足は好調だった。いや、好調なのは出足だけだった。

サービス開始当初、多くの人がミリシタに対して悪くない反応を示した。しかしその後1ヶ月以上、新しい楽曲を実装するイベントを行うことはなかった。
ミリシタは音ゲーである。音ゲーならば、メインコンテンツは楽曲であり、それが増えないのならば飽きられるのは明白であった。
また、『デレステライク』のゲームであるミリシタには明確な比較対象が存在したのもあり、サービス開始から1ヶ月が経つ頃には「ダメなゲーム」の烙印が押され、開始日にあれだけ盛り上がっていた人達は誰もミリシタの話をしなくなっていた。

4. 運営不信


それでも自分は、まだミリシタのことを信じていた。どんな事情があって楽曲イベントをやれないのかはわからないが、やれるようになればきっとまた盛り上がってくれると。
その信心は、一応報われる。
ミリシタが1周年を迎える頃、ある新曲がミリオンの歴史の中でも一番と言っていいほどバズったのもあり、ユーザー数も売上も、他のゲームタイトルと比較しても遜色がないほどになっていた。
「ここからもう一度戦える」と思ったが、自分には1つ気掛かりなことがあった。

サービス開始から1年を過ぎても、ゲームとしての『拡張性』が何一つなかったのだ。
楽曲イベントをやり、インターバルにミニイベントを挟み、また次の楽曲イベントをやる。これの繰り返しだった。その楽曲イベントも2パターンのみとなんとも寂しいものであった。
最初の頃は「ミリシタのMVは高水準の物だから、それだけでもゲームは成り立つ」と思っていたが、流石にその状況が続くと誰だって飽きる。
元々自分は「面白くない」という理由でグリマスを熱心にやらなかった人間だ。ミリシタにも新しい面白さを求めたのだ。

だが時が経ち、ミリシタの2周年が過ぎても、結局何一つテコ入れが入ることはなかった。

自分は不満を抱き続け、とうとう「運営はこのゲームを盛り上げる気がないのではないか」と不信感まで湧くようになった。
その不満が自分のみが抱いたものならば我慢できたが、そうではないことは数字が物語っていた。日に日に減るユーザー。落ちるセールスランキング。
極めつけは、ミリオンライブ自体の後発タイトルに当たるアイドルマスター シャイニーカラーズ(シャニマス)が、これまでアイマスに触れてこなかった層にまでヒットしているという現実だった。これまでミリオンをやっていた見知ったオタクも、気がつけばみんな揃ってシャニマスをやっていた。

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ミリシタが始まって以降、デレマスや他の競合作品に対してこれまで抱くことのなかった『悔しさ』『劣等感』と言った感情を抱くようになっていたが、シャニマスという後発作品にすら越えられるのは悔しいの一言では表せないほどの屈辱だった。

そして何より、それらのコンテンツとどれだけ水を開けられても少しの必死さも見せないミリシタの運営に怒りを覚えた。

アイマスのような美少女ゲームコンテンツは戦国時代の真っ只中だ。
群雄が割拠し、魑魅魍魎が跳梁し跋扈する、生き馬の目を抜くような業界である。限られたパイを少し自分たちで手に入れるために、また自分たちのパイを手放さないためにあらゆるコンテンツが試行錯誤し、創意工夫を凝らし客を楽しませる。盤石に見えるアイドルマスターだって例外ではない。

しかし、ミリシタには、ミリオンにはその姿勢が何一つとしてなかった。

5. コロナで解けた魔法


そんなこんなでマイナスの感情を膨らませながら迎えた2020年。ご存知の通り新型コロナウイルスの世界的大流行で世の中は大変なことになっている。
多くのライブイベントが中止を余儀なくされたが、当然オタクコンテンツも例外ではない。
アイドルマスター関連のイベントもほぼ全てが中止になった。そしてその中には、ミリオンの7周年ライブも含まれていた。

意図的に書くのを避けていたが、はっきり言ってミリオンは声優人気でなんとか続けている作品だ。実質声優コンテンツである。
そんな作品が声優ライブをできなくなるとどうなるか。大体察しがつくだろう。

もうごっそりとユーザーが減った。ゲーム内で数字として表れるユーザーもそうだし、Twitterでのミリオンライブ関連の話題への反響も大きく減った。
しかしこのダメージはコンテンツの構造上不可避なものであり、それを責めるつもりはない。

問題はその後、リカバリーの話である。

ミリオンの運営は、ライブが中止になったことに対する「とりあえず」の代替策として、過去の周年ライブの無料配信を行った。これは純粋に良い施策だったと思う。
また、それに続いて『デジタルライブシアター』(デジシタ)という謎の企画を打ち出した。これが7月のことである。

そこから約4ヶ月を要し、我々の前に出されたデジシタはミリシタ内に実装済みの既存のMVをつなぎ合わせ、キャラクターのボイスパートを新録しただけのあまりにも粗末なものだった。唖然とした。

ミリオンがそんな粗末なものに時間を掛けている間に、デレマスは声優が出演する長時間生配信を行い、シャニマスは配信でのライブを行い、よく比較対象とされるブシロード系列のコンテンツに至ってはリアルライブを再開していた。

理解ができなかった。他のコンテンツにできて、何故ミリオンだけができないのだと。他のコンテンツ以上に声優への依存度が高いミリオンが、何故声優イベントをやる努力をしないのだと。

そしてはっとした。リアルライブを失ったミリオンはあまりにも中身のないコンテンツだった。
いや、違う。元々中身のないミリオンライブが、リアルライブという魔法で真っ当なコンテンツのように見えていただけだったのだ。

思い返せばこれまでも、ライブ以外にその年のミリオンに何があったかと言えば、何もなかった。
ライブが楽しくて、何か充実した年だったような気になっていた。

魔法が解けたことで、もう一つ気がついてしまった。
ミリオンライブは最初から、美少女コンテンツ戦国時代を戦う意志などなかったのだと。戦う意志がなければ、負けても何も感じない。

その瞬間に、100年の恋も冷めたような気がした。

6. 魔法が解けたあと


魔法が解け、急に色々なものを冷静に見れるようになった。

まず、ミリオン自体は最初から何も変わっていなかったのだということ。

グリマスという第一線から遠く離れた戦場ですら通用しなかった姿勢のまま、ミリシタは命懸けの戦場に来てしまっただけだということ。

バンダイナムコは『アイドルマスター』で売り出したがっていて、『ミリオンライブ』を売り出す気がないということ。

これ以上ミリオンに付き合っても、もう盛り上がることはないということ。

今更このコンテンツ体質は変わりようがないということ。

ミリオンには頂点は獲れないということ。

自分はもうミリオンライブが好きではないんだということ。

 

 

 


以上が、変人が始まって終わるまでの、正味6年のお話。


もちろんこれだけが理由でやめるわけではない。
シナリオに全く力を入れていないからクソチープなストーリーしか提供されないとか、
急に音楽プロデューサーが消えて楽曲の質がガン落ちしたとか、
52人で765プロとか綺麗事をほざくくせに765AS単独の世界線をいつまでも残し続けることとか、
そもそもいつまでも765ASマンセーの後輩キャラみたいな描かれ方しかしてないこととか、
まあ色々ある。

そんな感じで不満はここに書ききれないほどあるし、こんな単純な話ではないけど、これくらいにしておくのが丁度いい。
だってこれらの不満を、このコンテンツには改善できるわけがないから。

恨み節のようになってしまったけど、自分はミリオンライブを恨んでいない。
あなたのおかげで私がいる。

 

これだけは誤解のないように言っておくが、自分はミリオンライブがデレマスだのシャニマスだのに負けたからやめるのではない。
一番好きなFFは15だし、好きなきらら漫画はハナヤマタだし、好きな球団はベイスターズだし、好きな芸人はさらば青春の光だ。世間の評価など、自分が下す評価には関係がない。軽く逆張りレベルである。

 

ただ人気がないコンテンツは好きになれても、戦う気のないコンテンツは好きになれない。
泥船コンテンツには慣れているけれど、船頭が前に進む意志のない船に乗り続けるほど数寄者ではない。
そんなコンテンツ、世間ではなく自分が評価できない。
それだけの話。

あえて書かなかったが、ミリオンライブはアニメ化が決定している。でも、もしアニメが上手くいったとしても、このコンテンツの姿勢や体質自体が変わらないなら何も変わらない。自分はそう思っている。

でももし、もし見る目のない自分がまた見誤って、ミリオンライブが盛り上がることがあるのならば、その時はゾンビとして恥ずかしげもなく戻ってくるかもしれない。
そんな未来を、心の何処かで願っている自分がいるのも、きっと本心だ。